3.15.2012

辞書・図鑑の掃除

わたしの教科書の一つとしては、
検索で様々なページを参考にするネットだ。


百科事典などは遠い話。重い辞典を粗大ゴミとして
少しずつ出した。

教科書としてのネットを見ていたら、

掘り下げた書が近頃、 だいぶん出て来たように思う。
 
マフィアの本であっても、

「わたしは、こうして負けました」

という市長であっても。

マフィアは勝利だったか、分からないが、
 
今はー負け犬の遠吠え傾向の本が好きだ。

いつも、いつも走らなくてもいい。
 
「美しく負ける」という本もあり、負ける学問分野を確立してほしい。
これからイクサになる?としても勝てそうかは考えなくてもわかる。

「負けるが勝ち」という、ことわざっていい。
 たとえばちゃっかり主婦になろうとする、負け犬は
 (年収が低いから合法に健康保険を安く払う、
 高額医療費もやつらからとり戻しができる場合があるなどの知恵を
 ネットでつけた。これは今だけの低い年収戦略かも知れないが)
みんな年収が下がるという前提で考えると、やつらはあせる。

あの手この手で迫るが、ないものはない、と開き直るのが一番だ。

 たしかにこれは、程度の低い「負け学問」、「イクサ論」。でも、わたしは
 大部分の官僚おじさんの論法に返事はしない。
 
 それより、町のおじさんが気になる。「おじさん図鑑」を買った!
おじさん図鑑
勿論、昼食はクリームパンだ。やよい軒に行かず、この本に1000円を使う。

作者は、ゆとり世代?
ゆとり教育も何だか、イギリスで実践していたらしく今しきりにいう、

競争教育も他国のものだそうだ。国際競争のためだと言うが、

自分たちはどうだったのだろう。もう充分、競争できなくなっているかも知れない。

押し付けが一方的なものは新聞・テレビだけでいい。

新聞を「使い捨てまな板」にするのは簡単だ。

じゃがいもを切る時小さく重ね折りをすると便利で、後は捨てる。

 負け学初心者のおばさん分析では、おそらく
開きなおりおばさん部門に入るだろう。

開きなおりさえ出来ない国は弱いのかも知れない。だが、わが夫の

「おじさん」にも戦略が立つ、この本に感心。
 
おじさんを揶揄するかと思いきや、

日本のおじさん族を元気にしたり、若者もおじさんになったらと

想像が膨らみそうな本だ。
 
久々笑いが出てこれはおばさんにも言えることだと思った。
 


ここまでのリアルイラストが描ける若い才能に輝きを感じたし、何より人に対する

プラス思考を失っていない。
 
夫への戦略はこの本で立った。

息子に対する戦略は昔からあった。

中学時代の息子にゆとり時間って何やのんと聞くと

「落ち葉の観察しただけや。」と答えた。

あの時、わたしは「落ち葉」から学校森林について観察すればいいのにと

理想を追ったが、掘り下げもなく友達と話しをして時間をやり過ごした様。

でもプラス戦略で友達がいるのはありがたいと思い、食べ盛りの子に

「ごはんは、カレーライス大盛りやから。」の返事に留めた。

手抜きをかくした二重効果。昔の我が家でさえも掘り下げる癖には困りもの。
 
掘り下げはユーモアであってもいいし、

ニヒル・ブラックユーモア歓迎。この時代、先生もどうしていいのか

分からなかったのだろう。様々な考えを選ぶ目を持つようにするのは

テストでは測定不可。様々な考えを選べるのはネットだ。

選ぶ自由がある社会だともっといい。

著者や出版社の売りは、世代を超えた優しさと、イラストと、値段設定だ。

1800円ものは今いち。これが1500円!値段くらい選ばせて。

負け組み・勝ち組を超える事実は、すぐ側にあると思う。
 
読後、昼間のスーパーで 多く見かける

「おじさん」を観察してみた。

スーパーの白袋がバック、頭にはナイキキャップ。
 
この田舎町でも見かけられた。
 
多くのおばさんは、ななめ肩がけのショルダーを持って元気に歩く。

その姿は、紛れも無いないわたし。
 
今度は「おばさん辞典」待っています。ホントにいろんな辞典が

出来てきた。